第1回 物語を紡ぐように、視点ごとに主役が変わる庭
~空間を演出する“タタライズム”の真骨頂~
山口市南部の椹野川河口沿いは、山口湾岸随一の穀倉地帯で、視界の先の山肌には葡萄畑も広がります。農地では麦と米の二毛作が行われており、初夏と晩秋の二度、一面が金色に染まる実りの風景を見ることができます。
今回、訪問させていただいたS邸は、まさにその田園地帯を目の前に臨む立地であり、その中をJR宇部線が横切る風景は、まるで「となりのトトロ」でネコバスが疾走するシーンがそのまま再現されたよう。自然と人の営みが見事に共存する、日本ならではの美しい光景の中にその佇まいはあります。
S邸の庭は住居のリフォームに合わせて新たに築庭されました。以前あった庭は“いかにも”な日本庭園だったそう。施主S様ご夫婦が、多々良健司代表にリクエストしたのは、「シンプルに」「明るく」そして、「田園風景が眺められるように」というキーワード。さらにS様が「イメージに近い」という、あるホテルの庭の写真を多々良氏に手渡しました。
「ランドスケープ・アーキテクチャー(Landscape Architecture)」である多々良氏の手によって、果たしてどのように生まれ変わったのか――。さっそくお庭を紹介していきます。
カジュアル感で演出された家と外をつなぐ空間
エントランスやカーポートといった家と外とを隔てる空間といえば、どんな雰囲気を想像しますか?直線的なデザインや平打ちのコンクリートなどで「整然」としたイメージを浮かべる人がきっと多いはずですが、多々良氏が「フォーマル」であるべき空間に用いたのは、なんと正反対の「カジュアル」というエッセンス!
庭の前の駐車スペース。コンクリートを洗い流すことによって、小石が浮き上がるような演出が生まれる
駐車スペースは小石が浮き上がるような加工が施されたラフな表面と、奥にある石積みのアーチを起点に広がる放射線状のラインが特徴的。また、石積みも、大小さまざまな自然石が組み合わされていて、あちらこちらに隙間も見えます。
これらの要素が見事に調和され、日本の家屋の玄関やエントランスにありがちな「圧迫感」「威圧感」すべてを打ち消しています。このカジュアル感の創出こそ、来客の多いS邸には不可欠。訪れた人の心を自然とほぐしてくれるのです。
大小異なるサイズの自然石が絶妙な加減で積まれている。駐車スペースと石積みの植え込みとその中にのぞく前住居にあった鬼瓦にも注目
田園風景の大パノラマを“借りる”庭の景観
さて、エントランスから見える石積みの奥はどうなっているでしょう?さっそく奥へと進み、住居の濡れ縁を背にして庭を眺めます。
盛土には一面に芝生がはられ、全体を囲うようにモミジなどの落葉樹、さらに視界の中心には広大な田園風景のパノラマが広がります。S様の「田園風景が眺められる」というリクエストを多々良氏は「風景を借りる(借景)」という形で応えました。
ステージを模した中央の大きな庭石もアクセント。「どっしり」とも「ふんわり」とも、相反する印象を併せ持つ。「家を隠しすぎない」ように植えられた落葉樹の背後に田園風景が広がる
また、庭に至るまでの途中にも、時間ごと季節ごとに、S様のご家族はもちろん、来客を楽しませる仕掛けが盛りだくさん! 縁側の先へと伸びる石畳の通路(延段)が一層の奥行き感を際立たせ、次々に視界に入る樹木や花木がまるでストーリーテラーのように、庭の見どころを案内してくれます。
飛び石と石畳の通路がフラットであることによって、囲まれた空間であっても“広がり”を感じる
庭の奥へと伸びる石畳の通路。樹木の枝をくぐることによって空間の移り変わりが自然と意識できる。わざと演出された住居と通路のラインのずれにも注目
玄関スペースの外壁。コンクリートの平面はまるでスクリーンのようで、前面の樹木の緑が映えるだけでなく、壁面に木々のシルエットが美しく踊る
濡れ縁の上には雨樋を設けず、犬走りとの境に石を並べた雨受けを設置。雨天時の落水がまた楽しい
「でも、やっぱり外からの視線が気にならない?」と思ってしまうのは、ついつい住まいを外から遮断しすぎてしまう日本人の性。完成から四季がひと巡り、実際のところ「気になりません!」とS様ご夫婦は自信を持ってお話しされています。
中から見る隙間と外から見る隙間の“妙”。S様の「明るく」「シンプルに」というリクエストに対する回答は、庭という空間の演出方法を知り尽くす多々良氏の手腕でなければ実現は不可能であったにちがいありません。
道路側から見たS邸の景観。隙間があるようで、家の細部まではよほど目をこらさなければ見えない。十分にプライバシー空間が保たれている
隠された空間に佇むアトリエスペース
駐車スペースから少し進むと、玄関へと分岐する飛び石が打たれています。庭木を横に見ながら進むと玄関へ、さらにぐるりと回り込めばS邸のアトリエへとつながります。
玄関前で飛び石が途切れるが、庭木をぐるりと回り込んだその奥にアトリエがある
左側の住居の玄関に対して、庭木によって隠された右側のアトリエ
「アトリエを隠してほしい」というのも築庭の上でのリクエストの一つでした。アトリエ一帯の空間は、ゲストのもてなしの場としても使われ、アウトドアリビングとしての要素も併せ持っています。非日常感を持たせながらも、日常の使い勝手の良さが徹底的に追求されている点にも注目です。
オフィスの前に広がる芝生の空間。程よく外光が射し込む書庫右の隙間がアクセント
目に飛び込む光景のすべてが「名場面」になりうる庭
多々良氏は「最初から図面で作り込んで固めてしまうと、些細なことでも途中の修正が大変。現場に入り続けて、施主様のご家族の皆さん、想定されるゲストなど、庭や家の中など、あらゆる場所であらゆる目線を考えながら、そしてコミュニケーションを密にしながら空間を仕上げていきます」と話します。
一方でS様ご夫婦は「最初に多々良さんが描いてくれた手書きのイメージ図を見て、わたしたち家族全員の思いを尊重してくださっていることが強く伝わりました」と振り返ります。
多々良氏はイメージ図を書き上げる前段階、さらに施工中も、キッチン、リビング、寝室など、住居内のあらゆる場所へ幾度となく足を運び、庭の見え方を考察、検証し、直ちに工事の中で反映させていきます。
「和の伝統的なディテールとモダンさを融合させた仕掛けを意識して、S邸全体の雰囲気に山口市南部特有の風景を取り込み、一つの空間として仕上げました。家の中からは、どこから見ても緑が見えるように設えており、日常の動線の中で風景が変わる驚きを楽しんでもらえるはずです」と多々良氏。
「季節の流れの中で、ある日突然きれいな花が咲くんです」と嬉しそうに話すS様ご夫婦。「庭の手入れが趣味になりました」という言葉は、多々良氏に対する最大の賛辞と言えます。
庭のあちらこちらに十数種類の「宿根草」が植えられている。それぞれ自分の季節が来れば、毎年いつの間にか成長しきれいな花を咲かせる
視界ごとに何かしらの「楽しみ=主役」がある様は、まるで「庭」というステージで物語が上演されているかのよう。目の当たりにした一つ一つの光景が名場面と成り得ます。
S様の思いのすべてを見事に実現したこの庭こそが、多々良流の空間づくりそのもの、「渾身のスタンダード」ではないでしょうか。